第55回東北中学校サッカー大会

準優勝。
心の整理がつかずなかなか書くことができなかった。
県大会で負けてから数週間で挑んだ東北大会。
また、決勝で負けた。
今回は
悔しいという気持ちよりも「なんで?」という気持ちが強い
今の選手達を観ていると堂安律選手が言っていた
メンタル9
技術0.5
フィジカル0.5
というのがわかる。
このメンタルという言葉にはたくさんの深い意味がある。
一言では言えないが、そこを学ばないと勝つ日は来ないと思っている。
「メンタル9、技術0.5、フィジカル0.5」堂安律の言葉が突きつける、育成年代への問い
堂安律選手が語ったとされる比率――メンタル9、技術0.5、フィジカル0.5。
数字だけを見ると極端に思えるかもしれない。技術もフィジカルもほとんど評価しない、ということなのか。だがこの言葉を、育成に携わる立場から読み解くと、まったく別の景色が見えてくる。
## なぜこの比率になるのか
答えはシンプルだ。**技術とフィジカルは、一定レベルに達すると「差」にならなくなる。
プロや代表クラスの選手たちは、そもそも技術もフィジカルも高い水準で当たり前に持っている。全員が持っているものは、差別化の要因にはならない。トップ選手を取材してきたメディアの分析でも、ある水準に達した選手同士では技術やフィジカルの差はさほど大きくない、という指摘は繰り返しされている。
つまり「メンタル9」という数字は、能力の絶対的な重要度ではなく、**勝敗や結果を分ける「差分」としての重み**を表している。技術0.5、フィジカル0.5という低い数字は、それらが不要という意味ではなく、「みんな持っているから、差がつかない」という意味だ。
土台としての技術・フィジカルは必須条件。その先で誰が結果を出し続けられるかを決めるのが、メンタルという変数——そう捉えると、この比率は極端な誇張ではなく、トップレベルの現実を映した実感なのだろう。
## ここでいう「メンタル」とは何か
この言葉を誤解しやすいポイントがここにある。「メンタルが強い」というと、多くの人は「何があっても動じない鋼のメンタル」を想像する。だが堂安選手自身は別の場面で、「自分はメンタルが強くない」と語っている。
一見矛盾するようだが、実はここに本質がある。堂安選手が言う「メンタルが強い」とは、**最初から何も恐れない人**のことではない。逆境が来たときに、それを跳ね返せるかどうか。彼自身、同世代に抜かれることへの不安や、結果が出ない時期の焦りと戦い続けてきたと語っている。つまり「強いメンタル」とは、恐れがない状態ではなく、**恐れや不安を抱えながらも機能し続けられる力**なのだ。
これをもう少し分解すると、次のような要素に整理できる。
-集中力:持っている技術を発揮し切るための土台
- 自己制御力:ミスを前提とした競技であるサッカーにおいて、ミスの後に崩れないための力
- 回復力:不調や逆境から立て直す力
- 自信(ただし過信ではない):焦りの中でも「自分ならやれる」と思い込める力
- 継続力:結果が出ない時期も練習を続けられる力
堂安選手自身も、壁にぶつかったときの唯一の救いは「勘違いすること」だと語っている。結果が出ない中でも、自分がゴールを決めるところを勝手にイメージし続けた。これは根性論ではなく、**自分の思考をどう扱うか、という技術**に近い。
ブラクラの現場で考えること
ここがブラクラの哲学と重なる部分だ。技術やフィジカルは、正しいトレーニングを積めば誰でも一定水準まで伸ばせる。しかし「不安を抱えながらも自分で立て直す力」「結果が出ない時期にも自分で動機を保ち続ける力」は、大人が答えを与えることでは育たない。
自己決定理論が言うように、この種の力は、**選手自身が選択し、失敗し、自分で立て直す経験**の中でしか育たない。コーチが逆境を取り除いてあげるのではなく、逆境の中で選手が自分なりの対処法を見つけるプロセスを、どう見守るか。
堂安選手の「メンタル9」は、単なる精神論ではなく、育成年代の指導者に対する一つの問いかけとして読むこともできる。
技術とフィジカルを教えることに、私たちはどれだけの時間を使っているか。そして、選手が自分で不安と付き合う力を育てることに、どれだけの時間を割いているか。
自分の中でしっかりと言語化して選手達に細かく伝えていけたらと思っている。
負けて終わらせない。










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