スポーツ指導における「厳しい指導」の正体
- kuukan

- 14 時間前
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自分自身、最近の試合や指導を見直すきっかけとなった。
本当に今の指導で選手は育つのか?
もっと勝って、もっと個が育つ指導があるのではないか?という疑いから始まった。
人間は学習する生き物
人間には、ミスや誤りから気づき、学習する能力が備わっている。
この能力こそが人間の尊さである。周囲にアドバイスや指摘をしてくれる人がいれば、大人になってからでも修正は十分に可能だ。
しかし、スポーツの組織ではこの前提が大きく崩れている。
スポーツ界の「勝利至上主義」という空気
日本のスポーツ界には根強い文化がある。
それは「勝利のためなら許される」という常識。
この空気の中で、ハラスメント的な指導は見逃され、許容されてきた。
実際のところ、どんなに優秀で名高い指導者であっても、負けることはある。
すべてのデータを検証すれば、勝敗は多くの複雑なファクターの結果に過ぎない。
にもかかわらず、スポーツ界には「こうした扱いをすれば勝利に繋がる」という都合のよい信仰が蔓延している。
この信仰は誤りだと感じている。
勝ち負けは選手への対応方法によって直結しない。してはならない。
ハラスメント的な指導で導かれる結果になってはならない。
「厳しい指導」は日本語の造語なのではないか?
驚くべきことに、「厳しい指導」という指導方法は、コーチング学には存在しない。
これは科学的にも学術的にも立証されていない概念。
何度も調べたが、厳しい指導の説明はない…それなのに日本では「方法論」のように扱われている。
これは日本人が日本の社会の中で都合よく作った言葉であり、スペイン語や英語には対応する概念がない。
なぜなら、欧米のコーチング理論では、こうした行為は単に「人としての最低限のことができていない状態」として認識されるからだ。
「厳しい指導」の名の下に行われているのは
罵倒、体罰
相手を人として扱わない
名前すら呼ばない
選手を物のように扱う
これらは指導ではなく、単なる権力である。
権威とハラスメントの関係性
スペインの指導者からこう指摘されたことがある「権威とは、ハラスメントとは、力を発揮している状態である」
その言葉の意味は深い。権威が効果を持たない環境では、そのパワーは力を失う。
そして、そうした不適切な行為をする人間は、そもそも指導の場さえ与えられない世界が存在する。
つまり、ハラスメントが成立するのは、それが許容される環境があるからこそ。日本のスポーツ界の「空気」がそれを可能にしているように思える。
自分は小さい頃から青森県八戸市でサッカーをスタートしたが、厳しい指導というものが当たり前だった。
今回その当たり前をどうにか疑う作業から、選手のある力を引き出したくて考えている。
変化を起こすための現実的なアプローチ
啓発活動、著名人の力を借りたSNS展開、セミナーや研修…これらはいずれも効果が限定的である。
理由は簡単
そうした場所に集まる人間は、すでに意識が高く、「ダメだよね」と思っている人たちだからだ。
本当に必要な変化をもたらすのは、別のアプローチである。
人々の「学習」にフォーカスすること。学習を通じて、人々の思考と行動を変えていくこと。
これが最も効果的な解決策だ。
世代と継承(無意識の連鎖)
昭和40年代生まれの指導者に、厳しい指導を受けてきた経験者が多く見られる傾向がある。
彼らは「自分たちはそうやって育ってきたから、お前たちもやれ」という思考に陥っている。
ここに何の疑いも持たないことが問題だ。
しかし、注目すべきは、20代の若い世代でさえ、同じ行動パターンを示す者がいるということだ。
これは単なる世代問題ではなく、継承の問題である。
不健全な体験や経験を受けた人間は、その学習をもとに自分自身の思考と軸を形成する。
そしてそれを次の世代に継承してしまう。
無意識を意識化する
我々の多くの言動は、実は無意識のうちに行われている。
無意識でやったり、無意識で言ったりしている言葉が、人を傷つけている。これが最も危険な側面だ。
傷つけたいわけではない。
なにくそ根性で這い上がってきてほしいと思っていたが、そこすら間違っていた。
ここが面白い気づきとなった。
スポーツ指導の現場では、多くのコーチが無意識に、なんとなく、コピー&ペーストのように指導を行っている。
今、特に指導現場で求められるのは、この無意識の領域にある言動を「意識化させ、意識領域に引き上げる」という作業である。自分たちが何をしているのかを認識することから、変化は始まる。
自分がすべきこと
まずは自分を見直す。これを数週間やってきた。
そこでリアクションの感情というものに出会った。
恥ずかしいのだが、これは3歳の駄々をこねる感覚によく似ている。
この状態で選手に伝えたところで伝わることは、ほぼ無いに等しい。
そこで自分自身、method的な指導中に立ち返る言葉を作成した。
選手がこういう時は、ブラクラの指導理念から逆算して導き出した言葉で対応する。
それと、今のサッカーをして勝っていっても選手の限界値はできてしまう気がしている。
この疑問は勝ち続けた数年前から思っていたこと。
もちろん勝つことは良いと思う。
でも勝つことと同じくらい大事なものがあったはず。
それを大事にしながら、勝っていく。
そうでなければ、ブラクラの意味がない。
この数週間、人に会い、数時間のお電話をさせていただき、たくさんの磯沼という人間を知ってくれている人達と話せたこと、気がつけたことで、また一歩成長できると確信している。






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