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自分の感覚の変化

  • 執筆者の写真: kuukan
    kuukan
  • 1月8日
  • 読了時間: 3分

自分は普段、footballと呼んでいる。

サッカーとは、ボール1つあればどこでもできるスポーツで誰でもシドウすることができるスポーツ。

勉強していようがしていなかろうが、今の時代SNSを見ればなんでも情報は掲載されている。

誰でもどこでも言われている言葉を並べれば、それなりに見える。

簡単な言葉を使うと伝わらないからあえて難しい言葉を並べたり、余計難しくしたりする。

指導の本質は難しい言葉や覚えたての横文字を使うことではない。

選手に考えていただけるように伝えていくことだと思っている。

簡単なことではない。

勉強して学んで『オリジナル』という感覚を手にしないと選手は中々変えてあげることができない。

言い換えると、シドウは誰でもできるが、選手を成長へ導く事は誰にでもできることではない。

モノはいいようで

『才能あります。それがいつ花開くかを支えます』

とシドウシャの方が言えば、言われて嫌な気はしないからなんとなく通い続ける。

我が子が可愛がってもらっていれば、通い続ける。

それで月日はあっという間に過ぎる。

今、誰から、どんなことを学んで、どういう道を進んでいくのか?

真剣に考えなければいけない。

本物なのか?偽物なのか?

在籍している選手達を観察すればわかること。

巧いとか、強いとか、速いとかの話ではなく、『育っているのか?』

試合後に選手たちにあたかも第三者の立場から言葉を伝えている方を見かけるが、なぜだろう?

それを厳しさと呼んだり、乗り越えろと伝えたり、自分で悩めとも伝える…

監督という立場はそういう立場なのか?結構疑問に思うことが増えた。

選手の能力に依存しているクラブなのか?選手にプラスアルファを育む場所なのか?

結果ではない価値だ…結果よりも優先すべきは個の育成…このような言葉もよく聞くようになった。

結果を出したことある方が言っているのか?を確かめた方がいい。

結果を出していて、それでも個の育成が重要だと感じているなら、素晴らしいシドウになると思うが、結果を出せていないのになぜ、結果よりも個の育成と言えるのか?

自分も以前はそんなことを言っていたが、今はどちらも目指している。

シドウシャも常に学び、常に刺激を受けて前に進んでいる。

魔法使いではないから、どっちがいいとはわからない。

いつも仮説を立て、自分が選手達をどう育てていきたいのか?

選手達の希望は、もちろん勝つことであり、巧くなること。

そこに目を逸らさずに立ち向かうことでしか、シドウシャとしての成長はないのではないか?

自問自答の毎日を過ごさせていただいている。

自分は、今も前も一貫していることは個の育成。

魅力的な個を育てたい。

ユニフォームを赤や紫を着ていても、この選手はISONUMAのところで育った選手だと分かるくらいの魅力を備えたい。

巧い選手…正直、巧い選手は大勢存在している。

それだけでは、選ばれないし、残れない。

賢い選手、IQの高い選手…これはもう聞き飽きた。

言葉で表せるくらいなら中々厳しい。

そんな言葉も出てこないような衝撃を与えられる選手。

体験や経験をして以前と変わらない位置にいるのではなく、一旦その場から飛び出さないとわからないことが多い。

今日も選手達に最高の刺激を与えたくて準備をしている。


 
 
 

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